2013年8月30日金曜日

中国:習政権は憲法維持と改革を唱え、一方で「主張する市民」の弾圧する

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●閉鎖的 全人代開催中の3月、天安門広場の前で写真撮影を止める警官 Petar Kujundzic-Reuters


ニューズウイーク 2013年8月27日(火)16時11分
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2013/08/post-3023.php

中国の改革に口出しは無用
China Arrests Citizens Seeking to Uphold their Constitution
by ベンジャミン・カールソン

習政権は憲法維持と改革を唱える一方で「主張する市民」の弾圧を続けている
[2013年8月27日号掲載]

 習近平(シー・チーピン)は中国の国家主席は昨年11月の総書記就任以来、法治国家として憲法を堅持すべきだと口先では強調してきた(そう、中国にも憲法はある)。
 なのになぜか、主張を同じくする市民の弾圧に乗り出している。

 最近も著名な活動家が犠牲になった。
 「新公民運動」を始めた法律家の許志永(シュイ・チーヨン)だ。
 「群衆を集めて公共の秩序を乱した」として、先月半ばに逮捕された。

 4月から自宅軟禁されていた許があらためて逮捕されたことを、活動家たちは「露骨な警告として受け止めた」と、香港中文大学のエバ・ピルス准教授は言う。
 「彼だけでなく、運動そのものへの周到な対抗措置だ」

 新公民運動はその名のとおり、昨年始まった新しい運動だ。
 発足時の声明によると「良心と義務、民主主義、法の支配、『近代市民』の概念を共に守ることを決意し、正義と法治を希求する中国市民」の集まりだ。

 活動家や賛同者が緩やかにつながり、現状の法律と政治の枠内で、憲法が保障する権利を実現しようとしてきた。
 82年公布の現憲法には、言論と集会と出版の自由が盛り込まれている。

 彼らはネット集会を催したり、国内各地の月例食事会で時事問題を話し合ったりする。
 市民を意味する「公民」と書かれた、青と白のバッジも配っている。
 「私たちはみんな公民で、その地位だけは国家も奪えない、という考えをすべての人に伝えようとしている」
と、ピルスは言う。
 「当然ながら、それは政治的に深い意味を持つ」

■市民と政府の感覚のずれ

 今月初旬には活動家の尽力で、拘置所にいる許からの動画メッセージが発表された。
 ひげが伸び、手錠姿の彼が自由と公益のために「どんな犠牲も払う」覚悟を表明し、国民に向かって「氏名の前に『公民』という言葉を付ける」よう呼び掛けた。
 
 2日にはジャーナリストの笑蜀(シャオ・シュー)が許の釈放を要請する公開書簡を発表し、警察に身柄を拘束された。
 許の収監は「司法制度に対する破壊工作」と主張したためだ。
 11日には反体制活動家のも、「公共の秩序を乱した」かどで逮捕された。
 弾圧が「転換点」となり、運動が活発化して団結が強まると論じたからだ。

 今年に入って、少なくとも40人の新公民運動参加者が身柄を拘束されたという。
 だが皮肉なことに、許は数々の著名な反体制家と異なり、今の政治体制を倒すのでなく、その中で努力しようと訴えてきた。
 実際、政府高官に資産公開を求める彼の主張などは、習政権の汚職撲滅作戦とまさに合致する。

 ただし中国共産党の指導部は、憲法にしろ市民にしろ、外部への責任を問われることを望まない。
 習政権は「国民に対して、説明責任を果たす様子が見られない」とジョージ・ワシントン大学法学大学院のドナルド・クラーク教授は述べる。
 「だからと言って、指導部が真の改革を望まない分野があるとか、できないというわけではない。
 ただ、対外的な説明責任を伴わない改革になるだろう」
 自分たちでできるから、市民は口を出すなということだ。

From GlobalPost.com特約



JB Press 2013.09.02(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38555

中国人の本音は「権力者に君臨してほしい」?
はたして政治改革の日は来るのか

 中国の清華大学・胡鞍鋼教授(経済学)は最近
 「中国共産党の集団指導体制は明らかにアメリカの大統領制より優れている」
と唱えている。

 胡教授によれば、アメリカの大統領制では大統領に権限が集中しすぎるため、間違った判断に歯止めがかからない。
 その判断はアメリカ全国民に大きな不利益をもたらすことになる。
 大統領本人が被る不利益はせいぜい弾劾されるだけと言われている。

 胡教授の言いたいところは、大統領制では権限が極端に集中するからリスクが大きい、一方、中国共産党の集団指導体制では権限は「チャイナセブン」と言われる常務委員に分散されるのでリスクも分散される、そして7人の指導者の知恵はアメリカ大統領1人の知恵より優れている、ということだろう。

 アメリカで留学・研修をした経験を持つ同教授は日本にも数十回訪問したことがある。
 日米社会の実情と中国社会の現状をどこまで踏まえてこのような判断を下したのかは不明だが、共産党集団指導体制の方がアメリカの大統領制よりも優れていると断じるには、より客観的な考察が必要になる。

 例えば、毛沢東時代の独裁政治をきちんと総括すべきである。
 同教授が指摘したアメリカ大統領制の弱点は、現在のアメリカ大統領制のものというよりも、毛沢東時代の独裁政治の弊害そのものだった。
 否、毛沢東時代の独裁政治の弊害は、言われているよりももっと大きく深刻なものだった。
 毛沢東は間違った判断を下しても辞任する必要はなかった。
 ちなみに、アメリカ大統領の権限は議会のチェックアンドバランス機能によって制限されている。

■中国人の「奴隷性」とは?

 共産党の集団指導体制は、理論的には確かに優れている面も存在する。
 1人の指導者ではなく、指導部のみんなが民主的に決めることで、間違った判断を避けることができる。

 ただし、集団指導体制が機能する前提として、意思決定のすべてのプロセスを透明にしなければならない。

 現在、共産党中央の意思決定プロセスは完全にブラックボックス化されている。
 かつて江沢民政権の時代、全人代での法案審査と人事決定についていくらかの反対票と棄権票が投じられていたが、近年、法案と人事がほとんど全会一致で採択されている。

 振り返れば、これまでの三十余年間の「改革開放」政策は
 経済改革に終始し、政治改革は実質的にタブー
とされてきた。
 鄧小平以降の歴代指導者は政治改革を行う必要性を十分に認識していたが、
 政治改革を行えば、共産党の支配体制は崩壊
する恐れがある。
 このことは旧ソ連や東欧諸国の結末から容易に想像できる。
 また、近年の「アラブの春」と呼ばれる革命から見ても、
 独裁政治から民主主義政治への制度移行は必ずしも社会の平和と繁栄をもたらすものではない。

 実際のところ、普通の中国人に政治改革について尋ねると、その必要性を否定する者は少ないが、簡単には成功しないと見る者が大半である。
 これは、上で述べた胡教授が論文の中で指摘する中国社会の複雑性の表れであろう。

 もっと極端な論者の指摘もある。
 中国人が、2000年の封建社会の中で権力者に君臨されることに慣れている
というのである。
 多くの中国人は人権や自由を求めるよりも、腹いっぱい食べられればそれでいいと考えている、という論考も存在する。
 このことは中国人研究者の間で「中国人の奴隷性」と表現されている。

■問われることのない政治指導者の責任

 中国では、共産党員の先進性がその正統性の担保になっていると言われている。
 すなわち、共産党員は特別な資質を持った者であり、簡単には腐敗しないというのである。
 しかし、個々の共産党員を見ると、もちろん生身の人間であり様々な欲望を抱えている。

 毛沢東の時代、「共産党幹部は人民の公僕である」と言われていたが、独裁政権では人民の公僕となり得ない。

 民主主義の国では、国民は納税者であり、行政は国民に対して行政サービスを提供する。
 政治家は選挙で選ばれるため、常に国民の監督を受ける。
 また、すべての国民は法の統治により法律で禁止されている行為を行ってはならない。

 それに対して、社会主義体制では納税者の納税意識が低く、行政には、国民に行政サービスを提供しようという意識はない。
 むしろ、その権力をもって自らの利益を最大化しようとする。
 政治家は選挙で選ばれていないため、国民の監督を受けない。
 政治は法の統治を受けず、法を凌駕してしまう。

 胡錦濤前国家主席や温家宝前首相は在任中、外国の記者団に対して政治改革に取り組む意欲を繰り返して示したが、在任中の10年間、何の改革も行わなかった。

 社会主義体制の弱点の1つは政治指導者の責任が曖昧にされていることである。
 温家宝前首相の時代、石炭の炭鉱爆発事故が数十回発生し、少なくとも数百人もの炭鉱労働者が犠牲になった。
 にもかかわらず、国務院総理として責任を問われることはなかった。
 温家宝首相はときどき犠牲になった労働者家族を慰問し、同情する言葉をかける。
 まるで自分も犠牲者の親族であるかのような演出をするが、責任を取ったことは一度もない。

 習近平政権になってから、共産党は幹部の腐敗撲滅に躍起となっている。
 しかし、共産党幹部はすでに強い「免疫力」を備えている。
 現在、共産党幹部の贅沢な飲食は禁止されている。
 「粛清」を避けるために、この時期に高級レストランでふかひれやアワビなどを食べる者は確かに減少している。
 しかし、それでは腐敗が撲滅できたとは言えない。

 例えば、最近、無期懲役の判決を受けた前鉄道大臣が数千万元(数億円)もの賄賂を受け取ったが、鉄道大臣の責任だけにされ、国務院総理の責任は問われていない。

 中国の政治と行政システムでは、すべての権限は党に集約しているが、問題が起きたときの責任について党を訴追することができないため、曖昧に処理してしまう傾向がある。
 中国政治体制では、任命権者の責任を問うことができない

■政治と行政の権限と責任を明確に

 かつて中国で国有企業改革を行うとき、政府機能と企業経営機能を分離する試みが行われた。
 最終的には、国有企業をすべて株式会社に転換させ、その資本関係をもって所有を明らかにした。
 同時に、企業から学校や病院などのソーシャルサービス機能を切り離した。
 今日の国有企業改革は依然として不完全な形だが、かつての計画経済時代の国有企業に比べれば大きく前進したのは間違いない。

 政治改革の方向性についていきなり先進国の民主主義の選挙制度を導入することは現実的に不可能である。
 差し当たって重要なのは、国有企業の改革のように政治と行政を分離することであろう。
 行政が、国民の税金をもとに国民に対して行政サービスを提供することである。

 政党や政治は立法が主な仕事であり、それが行政に入り込んでしまうことから権力と責任が曖昧になり、腐敗が横行してしまう。
 したがって、習近平国家主席は幹部による贅沢な飲食を禁止することも重要なことだが、政治と行政の権限と責任を明確にすることが何よりも重要である。

柯 隆 Ka Ryu
富士通総研 経済研究所主席研究員。中国南京市生まれ。1986年南京金陵科技大学卒業。92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。長銀総合研究所を経て富士通総研経済研究所の主任研究員に。主な著書に『中国の不良債権問題』など。



WEDGE Infinity 2013年09月05日(Thu)
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/3133?page=1

軍を掌握する習近平
着任半年で2度目の人民解放軍人事に着手

 習近平体制がスタートして以降の中国を見回したとき、
 この国に起きた最も大きな変化が何か
といえば、それは間違いなく腐敗官僚に対する取締強化と贅沢禁止を呼び掛けた倹約令に収れんされてゆくことだろう。

 こうした変化は、主に共産党と国民との間で起きたものであり、
 共産党が国の統治にある種の危機感を抱いていることを投影したとも考えられた。

 一方、党内で権力の継承が起きた際に、必ず注目されてきた内部の安定という視点で見た習近平体制はどうだろうか。

■注目される習近平の権力のグリップ具合

 なかでも注目されるのは権力の掌握の程度であり、その中心的な話題には常に中国人民解放軍(以下、解放軍または軍)の存在があった。

 2013年7月31日、軍の最高意思決定機関である中国共産党中央軍事委員会(以下、中央軍委または軍委)が入る「八一大楼」で新たに上将に昇格する6人の軍幹部に対する昇格式が行われた。

 午前9時30分から行われた式の総責任者は軍委の許其亮副主席。国歌が演奏されるなか、軍委の范長龍副主席が命令書を読み上げた。
 命令書には6月29日付の習近平の署名があった。

 これは習近平体制がスタート――2012年11月に党中央総書記に就任した時点をスタートと考える――して2度目の新任上将の任命となる。

■半年で2回目の人事を断行した習近平

 党機関紙で政治を中心に取材するベテラン記者が語る。

 「政権スタートから半年余で2回も軍の人事を大きく変えるというのは、習近平主席の自信の表れなのかもしれません。 
 今年年初に出された贅沢禁止令は、軍に対する厳しい締め付けになりました。
 民間に貸し出されたりしていた軍ナンバーの回収を命じたり、450万元以上の高級車に軍ナンバーをつけることを禁じたりと、大胆にメスが入れられました」

「そのことによって軍との軋轢を指摘する声が高まっていたのです。
 少し落ち着いたら軍からの巻き返しがあるのではと考えられていたときだけに、軍に1つの鞭を加える観点からも大きな効果があった人事だと考えられています」

 「こうした人事は習主席が個人で行えるものではありません。
 軍歴や実績などを考慮して名簿を作成しなければ、それが大きな反発を招くことになるからです。
 当然、その下書きとなる人事案は制服の幹部たちの手によって作られるのですから、彼らが非常に協力的であったことがうかがえるのです」

■新たに昇格した解放軍の面々

 では、具体的にどんな人物が昇格したのかを見てみよう。

1.呉昌徳 総政治部副主任
1952年生まれ、江西省大余出身。陸軍第31集団軍政治部主任、総政治部宣伝部部長、成都軍区政治部主任などを歴任。2008年の四川大地震で活躍し、同年7月に中将に昇格。

2.王洪尭 総装備部政治委員
1951年に山東省済寧に生まれる。陸軍第54集団軍政治委員、瀋陽軍区政治部主任、瀋陽軍区副政治委員などを歴任。2009年に中将。2011年6月から総装備部政治委員。

3.孫思敬 軍事科学院政治委員
1951年に山東省青島に生まれる。第一軍医大学政治委員、解放軍総医院政治委員、総後勤部政治部主任、総後勤部副政治委員などを歴任。2007年7月より中将。

4.劉福連 北京軍区政治委員
1953年生まれ、安徽省来安出身。陸軍第27集団軍政治委員、北京衛戎区政治委員(部区大軍区職に相当)などを歴任。2008年7月に中将。

5.蔡英挺 南京軍区司令官
1954年に福建省泉州に生まれる。中央軍委副主席(張万年上将)秘書、陸軍第31集団軍軍長、南京軍区参謀長などを歴任。2009年に中将に昇任された後、2012年10月から現職。

6.徐粉林 広州軍区司令官
1953年に江蘇省金壇に生まれる。陸軍第47集団軍軍長、陸軍第21集団軍軍長、広州軍区参謀長などを歴任。2008年7月に中将。2009年12月から現職。

■政権移行時に、軍における一切のポストから退いた胡錦濤

こうして昇格人事を並べてみて分かることは何か。
 人事のポイントが、四総部(総参謀部、総政治部、総後勤部、総装備部)の人事だけでなく大軍区の人事にも関わっていることだと指摘するのは、党中央の関係者だ。

 「胡錦濤体制から習近平体制への移行時に見られた特徴として、軍における人事の断絶ということが挙げられます。
 胡錦濤体制がスタートしたときには、軍委主席のポストに江沢民が約2年間もの間居座り続けました。
 それに比べ胡錦濤は一切のポストから退いています。
 それだけに新政権(党)の軍に対するコントロールに不安の声があったのです。
 しかし、今回の人事はそうした声を退けるだけでなく、習近平が軍を強くグリップしていることを内外に示した形になったのではないでしょうか」

■ハイペースな軍の昇格人事と若返り

 今回、軍務にもかかわる党の関係者たちが注目しているのは、おおむね以下の2つの視点だという。

 「第1点は、軍委弁公庁の主任に秦生祥を就けることができたことです。
 これは胡錦濤色が軍から完全に消えたことを意味します。
 例えば、江沢民体制下では鄧小平時代の王瑞林がずっとこのポストで目を光らせ、胡錦濤時代には同じように賈廷安がそのポストを手放すことはありませんでした。
 つまり習は胡から白紙で権力を移譲されたのです。

 これに加えて第2点目は、秦の人事が出された2013年1月以降、習近平が副大軍区級以下の人事にも細かく手を付け、それを見事にやり遂げているという事実です。

 過去には鄧小平が17人の上将を任命、江沢民は79人、胡錦濤が45人となっていますが、習近平の約半年で7人の上将任命はかなりハイペースといえるでしょう。
 また今回の人事でさらなる若返りが実現しています。 
 最年少上将の記録を塗り替えた蔡英挺の抜擢はその象徴です。
 これで全31人の上将のうち、50年代以降に生まれた者が22人にまで増えたことも人事の特徴といえるでしょう」(前出の党中央関係者)

富坂 聰 (ジャーナリスト)




減速する成長、そして増強される軍備


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