2013年8月13日火曜日

本当は日本が怖くて仕方がない中国:コクヨの「カドケシ」がなぜ怖いのか?




●コクヨの「カドケシ」


JB Press 2013.08.13(火)  姫田 小夏
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38428

本当は日本が怖くて仕方がない中国
「大国」が日本の国防軍を過度に警戒する理由


 筆者の手元に、中国人民大学出版社から刊行された『政治学原理』という大学院の教科書がある。
 中国人民大学・北京大学・清華大学・復旦大学など中国の名門大学の教授らが編纂したもので、現在、中国では多くの学生がこれを教材として使っている。

 中身は「政治学の研究法」から始まって「国家と政府」「価値と文化」「政府と国民の関係」・・・などと編集されている。
 目を引いたのは、第7章の「軍事力」だ。
 中国の政治において「軍事力」とはどのように定義されているのだろうか。

 ページをめくってみると、そこには「軍事力」の意味から始まり、その起源や発展の過程、特徴、さらには国家政治における位置づけ、主要先進国における軍事力の現状、国際政治の中における役割など、その解釈がこと細かに書かれている。

 全体的には、武力の行使を積極的に支持している印象を受ける。
 確かに中国の歴史は戦闘の歴史そのものであり、近代史においては民族自決のための手段でもあった。

 中国国歌が抗日映画の主題歌であったように、彼らの宿敵は“日本”である。
 国歌中に出てくる「敵の砲火をついて進め!」の「敵」は日本を示しているとも言われている。

 毛沢東語録にも「政権は銃口から生まれる」「戦争は政治の継続」という表現が登場する。
 中国にとって政権と武力は切っても切れないものであることが分かる。

■国家には「十分に強大な軍事力」が必要

 この教材には「現代社会における軍事力」が現実的な視点で解説されている。
 例えば、次のような記述がある。

●.「一般的に、軍事力の基本機能は政権の統一を守り、侵略を防ぎ、国家主権と領土、社会秩序を守るものとされている」
●.「様々な国家がみな異なる制度において組織機関を建設し、軍事力を制御し管理する。
 武装体制は各国の政治体制における重要な組成部分となる」
●.「現代国家はいずれもみな、文官のみに頼って守ることはできない
●.「なぜならこれら統治の合法性は、内部あるいは外部の政治勢力の威嚇を受ける可能性があるからだ」

 また、以下のような記述もある。

●.「1つの主権国家がもし十分に強大な軍事力を持っていなければ、小さな威嚇により崩壊してしまう可能性がある」
●.「軍事力を国家権力の象徴にすれば、和平時においても内外の異分子に対する抑止力にもなる」

 こうした考え方に基づけば、中国の軍事力拡大は正当性があるということになる。
 また、日本が自衛のために必要な最小限度の自衛力を保持しようとするだけでも、中国にとっては「威嚇されている」ということになり、中国がさらに軍事力を増強するのは当然、ということにもなる。
 国内に関して言えば、政権を脅かすような反逆者は軍隊をもって鎮圧することが妥当とする主張にも結びつく。

 この教科書から伝わってくるのは、どの国においても軍事力は欠くべからざるものであり、特に中国にとっては軍事力こそが国家政権における最も重要な機能だということだ。

■日本の「国防軍」になぜそれほど敏感なのか?

 さて、安倍晋三首相は7月下旬、シンガポールのリー・シェンロン首相主催の昼食会で、日本の憲法改正論についての理解を求めたという。
 筆者も身近な中国の友人を通して中国人の真意を忖度(そんたく)してみることにした。
 東京在住で日本国籍を持つ中国出身の陸さん(仮名)に聞いてみたのである。

★.「この中国の教科書に『どの国家も軍事体制を築いている』『軍事力は各国政治体制の重要な組成部分である』とあるのだから、『日本も憲法改正して国防軍を配備してもいい』と解釈できないの?」
 すると、こう返ってきた。
☆.「ハハハ、日本はダメダメ! 例外だよ」
 なぜ日本だけが例外でなければならないのだろう。
☆.「それはなぜ?」
と尋ねてみたところ、
☆.「日本の軍隊はムチャクチャ強かったから、怖いんだよ」
と言う。

 中国人は近年、「日本は弱体国家で、中国は大国だ」と豪語するようになっている。中国人にしてみればいまの日本など恐れるに足らないのでは、と思うのだが、彼との対話によれば、
 中国人には
「軍備よりも、日本人の凄さが怖い」という恐怖感
があるらしい。

 「日本人の凄さ」というのは、いまだに中国人の間で語り草になることがある。
 無学の成金や、噂しか信じない庶民などは、経済的にも政治的にも衰退している日本を「小日本、小日本」と馬鹿にする。
 しかし、冷静にものを見ることのできる中国人は、「決してあなどれない存在」として日本を捉えている。

■コクヨの「カドケシ」に絶句した中国人

 例えば、こんな話があった。

 筆者はかつて、上海に住む友人・宋さん(仮名)に日本の文房具をプレゼントしたことがある。
 中国には絶対にない、プラスチックケース入りでストラップまでついた「カドケシ」を渡し、
 「これ何だと思います?」
と尋ねた。
 好奇心旺盛な宋さんはしばらく考え込んでいたが、
 「消しゴムですよ」
と教えたら絶句してしまった。
 以来、ことあるごとに彼はそのカドケシを自分の友人に見せて「コレ何だと思う?」と聞き、友人たちの反応を楽しんでいた。

 相当気に入った様子だったので、筆者は日本に戻るたびに「消せるボールペン」や「曲がらず引けるマーカーペン」などをおみやげに買ってプレゼントしてあげた。
 彼は今ではすっかり日本の“革命的文房具”の崇拝者となり、
 「日本人の商品開発力はすごい、敵わない」
と絶賛している。

 一方で、彼は「中国人はダメだ」と以前にも増して連発するようになってしまった。
 カドケシについて言えば、
 「数十元でしか売れない商品に対して、中国人は金も時間も人材も投入などしない。
 これはすべてに言えること。
 だから中国人はダメなんだ」
ということだった。
 「ムダと思えるところにも金と時間と手間をかけ、妥協を許さない」
日本には到底かなわない、というわけだ。

■日本が「強靭な国」になることへの恐怖

 こんなこともあった。
 筆者は上海の大学院生・余さん(仮名)から頼まれて、日本語を教えている。
 数回目のレッスンのとき、
 「なぜ、日本語をそんなに熱心に勉強するのか?」
と尋ねてみた。
 上海の大学生や大学院生の間では、日系企業はすでに花形企業とは言えなくなっていたからである。

 彼はこう打ち明けた。
 「確かに日本語を専攻した自分の先輩たちは、いま就職でことごとく失敗しています。
 でも僕は、なぜ日本はこんなに小さな国なのに強いのか、本当の理由を知りたいと思っているんです」
 ちなみに、彼が“失敗”と語るのは、日本語を専攻したにもかかわらず非日系の企業や国有企業に就職しようと方向転換を試みたために不合格となってしまったという、近年顕著な就職事情のことである。

 就職と言えば、上海の中国人女性からこう言われたことがあった。
 「息子が今の会社で出世できたのも、最初に就職した日系企業で日本人から仕事の精神を学んだからです」。
 中国人からすれば、日本人は真面目で勤勉、しかも一つひとつの仕事の精度が高い・・・、そんな国民性に映っているのだ。

 前出の友人・陸さん(仮名)はこう語った。
 「日本から見たら、隣人の中国は確かに劣等生かもしれない。
 けれども、日本は欧米並みの先進国、つまり優等生なのだから、そこは笑い飛ばす余裕を持ってもらいたい・・・」

 日本人が本気を出して「強靭な国家」を目指したら必ずそれを実現するだろう、
 再び中国を恐怖に陥れるだろう。
 中国人の心の奥には、そうした日本への警戒心、恐怖心が根強くある。

 だが、日本の『防衛白書』の第1章第1節に
 「侵略を招くような隙を生じさせないよう」
とあるように、
 私たち日本人も
 「何をしでかすか分からない隣国の恐怖」に怯えている。

 ましてや、『政治学原理』を読めばなおさらだ。
 そこにはこうある。
 「国家と国家の間には、矛盾と衝突は避けられない。
 これらの矛盾と衝突が和平的手段で解決できないときに、武装衝突と戦争は避けられないのである

 「武力は是」と言ってはばからない中国に、隣人との平和的解決を優先する意思があるのかどうか。
 すべてはそれが核心だろう。




減速する成長、そして増強される軍備


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