2013年8月15日木曜日

煽り記事の面白さ(2):中国の日本侵攻について考える

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JB Press 2013.08.15(木)  山下 輝男
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/38442

終戦の日に中国の日本侵攻について考える
中国の対外武力紛争史が教える執拗でしたたかな戦略

■1]. はじめに

 中国は海洋警察関連組織の統合組織を発足させ、昨年来接続水域の航行や領海侵入を常態化させ、航空活動も活発化させている。
 日中中間線付近のガス田の開発も急いでいる。
 レーダー照射・ロックオン事件もあり、日中関係は、今や危険水域に差しかかっている。

 巷では、日(米)・中の軍事衝突の懸念が高まり、メディアでも強硬な論説や言辞が散見され、中国では尖閣戦争を舞台としたゲームソフトまで販売されているようだ。

 かかる状況下で、いま一度、中国の対外武力行使の歴史を概観し、そこから中国の武力侵攻に関する思想・考え・概念を摘出し、対日武力侵攻の可能性等を検討してみたい。

 孫子の兵法「謀攻編」に曰く、「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」と。
 我が国が直面している尖閣諸島の主権に対する重大な挑戦に如何に対処すればよいかのヒントが、中国の過去の対外紛争の歴史の中に隠されているはずである。

 以下詳述は避けるが、大胆に仮説を立ててみたい。


■2]. 中国の対外武力行使について

★(1).中国の対外武力紛争の概要

 中国は、その建国以来以下のような対外武力行使・武力威嚇事件を起こしている。

1). 朝鮮戦争(1950/6/25~1953/7/27)

 第2次大戦の終了に伴い、朝鮮半島にソ連軍が侵攻し、危機感を抱いた米国は半島の南北分割占領案を提示し、ソ連も認めたため、朝鮮半島は北緯38度線を境に米ソに分割占領された。

 1948年大韓民国および北朝鮮がそれぞれ独立を宣言し、南北分断が固定化された。南北統一を希求する金日成は、ソ連に武力侵攻の承認を求めたが、米国との直接対立を望まないスターリンは許可しなかった。

 その後、ソ連軍は撤退し、米国も軍政を解除し軍事顧問団を残し撤収した。折から国共内戦に勝利した中国共産党は中華人民共和国を成立させた。このように米ソの軍事力が撤退し、新たな勢力が勃興したのである。

 あろうことか、ディーン・アチソン米国務長官が、1950年1月「米国が責任を持つ防衛ラインは、フィリピン、沖縄、日本、アリューシャン列島までである。それ以外の地域は責任を持たない」と発言したが、金日成は、これを「米国の韓国放棄意思」の表明と誤解したと思われる。

 金日成の巧みな中ソへの働きかけにより、スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件に韓国への侵攻を容認し、同時に金日成は中国が支援するとの約束を取り付け、準備を急ぎ、満を持して1950年6月25日(日曜日)奇襲侵攻を開始したのである。

 奇襲を受けた米韓軍は、瞬く間に釜山橋頭堡に追い詰められた。国連軍の仁川上陸により本格的な反攻を開始し、中国との国境である鴨緑江に迫った。

 ここにきて中国は義勇軍と称する人民解放軍を本格的に半島に投入し、38度線まで押し返して、休戦となった。奇しくも休戦60年である。

2). 第1次台湾海峡危機(1954~55)

 国共内戦に敗れた蒋介石軍は、大陸反攻の足がかりとして大陸沿岸部である浙江省台州列島の大陳島やその前線と目される一江山島を保持していたが、1954年9月に中国軍は金門島の守備部隊に砲撃、翌年1月には一江山島を攻撃し、これを占拠した。

 大陳島の防衛が困難と判断した台湾側は、米海軍の協力を得て大陳島撤退作戦を敢行した。これにより浙江省の拠点を台湾側は失うこととなった。

3). 第2次台湾海峡危機(1958)

 1958年8月23日、中国沿岸部の九龍江口や廈門湾口を望む台湾の金門守備部隊に対して中国は砲撃を開始、44日間に50万発もの砲撃を加えた。この砲撃に対し台湾側は9月11日に中国との空中戦に勝利し、廈門駅を破壊するなどの反撃を行った。

 この武力衝突で米国は台湾の支持を表明し、9月22日には米国が提供した8インチ砲により中国側への砲撃を開始、また金門への補給作戦を実施した結果、中国による金門の海上封鎖は失敗、台湾は金門地区の防衛に成功している。

 10月中旬、ジョン・フォスター・ダレス国務長官は台湾を訪れ、台湾に対して飴と鞭の態度で臨むことを伝えた。つまり蒋介石が金門・馬祖島まで撤収することを条件に、援助をすると伝えた。蒋介石は10月21日からの3日間の会談でアメリカの提案を受け入れた。

 10月6日には中国が「人道的配慮」から金門・馬祖島の封鎖を解除し、1週間の一方的休戦を宣言し、米国との全面戦争を回避した。

4.) 中印国境紛争(1959~62)

 中国とインドの国境は長らく曖昧であった。チベットに侵攻した中国は、インドとの国境画定に有利な状況を窺っていた。このような状況下、1959年9月には両軍による武力衝突が起き、1962年11月には大規模な武力衝突に発展した。

 周到に準備を行い、先制攻撃を仕かけた中国人民解放軍が勝利を収め、国境をインド側に進めた。

 中国共産党は、清がロシアその他の列強に領土を奪われた経験から、軍事的実力のない時期に国境線を画定してはならないという考え方を持っており、そのため中国国内が安定し、周恩来とネルーの平和五原則の締結により、インドが中国に対し警戒感を有していない機会を捉えようとしていたとの見方がある。

 また、大規模な衝突に発展した時期は、キューバ危機が起きていた時期でもあり、世界の関心が薄れた中での中国共産党による計算し尽くされた行動であったとの見方もある。

 軍事的優位を確立してから軍事力を背景に国境線を画定する例は、中ソ国境紛争などほかにも見られ、その前段階としての軍事的威圧は中国に軍事的優位を得るまでの猶予を与えたものと見なされることも多い。

 その後、両国首脳の合意もあり、平穏な状態が続いていたが、本年(2013)に入って、両国軍が対峙・睨み合い、新設部隊配備計画の発表などもあって、武力衝突の懸念がないわけではない。

5). 中ソ国境紛争(1969)

 中ソ間の国境には、ロシアと清との領土割譲条約(アイグン条約や北京条約)の河川上の国境画定に関して不備な部分が多かった。

 一方、この時期はフルシチョフのスターリン批判以降中ソ関係は悪化し、両国間の政治路線の違い、領土論争を巡って緊張が高まり、1960年代末には国境線の両側に中ソ両軍が部隊を展開して対峙することとなった。小規模な衝突は度々あったものの、本格的な軍事衝突は起きていなかった。

 1969年3月2日、極東のウスリー川の中州・ダマンスキー島(珍宝島)で、両軍の警備兵同士による衝突が起きた。双方とも相手側が先に仕掛けたと主張しており、真相は不明である。損害を受けたソ連軍はダマンスキー島に部隊を突入させた。

 7月8日には、中ソ両軍がアムール川の中州・八岱島で武力衝突、8月には新疆ウイグル自治区でも武力衝突が起きるなど、一触即発の危機となり、両軍は最悪の事態に備え、核兵器使用の準備を開始したとも言われる。

 こうした最中、北ベトナムのホー・チミン主席が死去し、葬儀に参加したソ連首相がこの機を逃さず周恩来中国首相と会談し、政治解決の道を探り、軍事的緊張は緩和された。

 この紛争もあり、中ソ関係は決定的に悪化した。ために中国は米国に急接近し、折からベトナムからの撤退を考慮中であった米国もこれに応じ、1972年のニクソン・ショック(ニクソン大統領の北京急遽訪問)が起きた。

 その後、両国の国境画定への協議や交渉は続けられたものの、有効な成果を得ることができなかった。

 ミハイル・ゴルバチョフの登場により中ソ国交が正常化し、全面的な国境見直しが始まり、ソ連崩壊直前の1991年中ソ国境協定が締結され、1994年には中央アジア部分に関する中露国境協定が結ばれた。残る未確定地域の国境画定の合意は困難と思われたが、2004年10月に最終的な中露国境協定が締結された。

 2008年、中露外相が東部国境画定に関する議定書に署名し、中露国境はすべて確定した。ロシア側が実効支配していた島が中国領とされたことからもロシア側が大きく譲歩とも思われ、そのように特に中国側でPRされた。

 しかしながら、本来不平等条約を前提にした国境交渉であり、事実はロシア側に有利であったとの指摘もある。

 ウラジーミル・プーチン大統領演説によれば、「これといった鉱物資源もなく、軍事的要衝でもないこんな島、どちらの領有でも構わない」「だったら、仲よく半分ずつにしよう」との鶴の一声で解決したと言われる。

6). 西沙群島海戦(1974)

 第1次インドシナ戦争後に中国と南ベトナムが領有権を主張していた西沙諸島は、東部を中国が、西部をベトナムが実効支配していた。

 1974年当時、ベトナムはベトナム戦争末期の追い詰められた状況にあり、海軍も弱体であった。対する中国は、文化大革命の混乱期ではあったものの海軍の近代化が進捗しつつあった。

 1974年1月11日、中国は西沙諸島が自国領土であることを改めて主張する声明を発表した。西沙諸島を哨戒中であったベトナム海軍哨戒艦が、ベトナムが実効支配していた島に中国国旗が掲揚され、沖合に中国大型漁船が停泊しているのを発見した。

 ベトナム海軍哨戒艦は中国漁船に退去を命じ、威嚇射撃を行った。

 1月17日、中国とベトナムはそれぞれ増援部隊を現地に派遣した。1月19日、ベトナム軍40人が、中国軍が占領していた広金島に上陸を開始、銃撃戦となった。双方の艦隊がついに本格的な交戦となり、南ベトナム海軍が撃破され、中国軍の完全な勝利となった。

 西沙諸島からベトナムの勢力は駆逐され、完全に中国の実行支配下に置かれることとなった。その後、中国は同諸島の永興島の要塞化を進め、1988年には2600メートル級の本格的な滑走路を有する飛行場を完成させ、南シナ海支配の戦略拠点としている。

 同じく1988年には、南沙諸島にも侵攻し、ベトナム軍を撃破し、同諸島を実行支配下に置いた。

 漁船を突出させて紛争を引き起こし、自国民保護や主権維持を名目に武力を展開して武力占領して実効支配を確立するという中国の常套手段が確立された。

7). 中越戦争(1979)

 ポル・ポト率いるカンボジアと統一ベトナムは対立が激化し、1978年には国交を断絶した。ベトナムは亡命クメール・ルージュのヘン・サムリンを支援するという形でカンボジアに侵攻し、親ベトナムのカンボジア政権を樹立した。

 ポル・ポト政権の後ろ盾である中国は、ベトナムをソ連の手先と見なし開戦を決意した。

 中国にしてみれば、ベトナム戦争で中国の支援を受けたベトナム政府が親ソ連となり、中国から供与された武器を使って、中国の友好国であるカンボジアのポル・ポト政権を崩壊させたことは「恩を忘れた裏切り行為」であると見なしたのである。

 また統一ベトナム成立後の社会主義化政策は、旧南ベトナムの経済を握っていた華僑資本家層を圧迫しており、民族主義的反発もあった。

 一方、ベトナムにとっては、カンボジアとの未確定の国境問題があり、カンボジア領内のベトナム系住民への迫害や小規模ではあっても繰り返されるベトナムへの侵攻・挑発は看過し得ないものであった。

 中国軍は、1979年2月、「懲罰行為」と称して、集結した56万のうちまず10万の陸軍をベトナム北部に侵攻させた。数においては劣るベトナム軍ではあったが、実戦経験が豊富であり、中国製やソ連製の大量の武器・弾薬も保有しており、精鋭の兵力であったと言われる。

 初期の戦闘では中国軍は大損害を出したが、数において勝る中国軍は、迂回作戦を行いベトナム軍の背後に回ろうとした。このため、ベトナム軍は敵に損害を与えつつ後退せざるを得なかった。

 その後中国軍は、ベトナム北部の5つの省を完全制圧した。ベトナムはハノイ郊外に巨大陣地を構築し、後退した部隊やベトナム軍主力を合流させ、徹底抗戦の態勢を取った。

 ベトナム軍主力との決定的な会戦が惹起すれば、中国野戦軍のさらなる被害増大が予測され、占領地の維持すらも覚束なくなると判断した中国は3月6日撤退を命じた。焦土作戦を繰り返して撤退をする中国軍は、ベトナム軍の追撃を辛うじて振り切り、3月16日までに撤退を完了した。

 純軍事的には悲惨な結果に終わった本戦争後、中国において本格的な軍の近代化が最優先の国家目標となった。

 中越関係は、その後も改善せず、1979年から1989年にかけて中越国境紛争や赤瓜礁海戦などが起こり、敗れたベトナムは、中国にとって有利な条件での国境線画定を余儀なくされた。結局中国の支配地域が増すこととなった。中国のしたたかさに驚嘆するばかりである。

8). 南沙群島軍事衝突(1988)

 南沙諸島は、日本が領有権を放棄させられて以降は、各国が領有権を主張して対立している。中国、ベトナム、マレーシア、台湾、フィリピンなどの国境線が複雑に絡み合い、しかも埋蔵量200億トンとも言われる大油田・ガス田がありさらには、世界有数の海運ルートでもある。

 南沙諸島の赤瓜礁で、中国海軍とベトナム海軍が衝突し、中国軍が勝利した。中国は赤瓜礁を含む6つの岩礁などを入手したが、空軍の支援が届かないため海軍は中国本土に撤退した。ベトナムは残りの29の島を支配している。

 中越戦争で苦杯を舐めて苦節10年中国海軍はベトナム海軍に勝利するまでに増強された。

 なお、第3次台湾海峡危機(1962)を中国の対外武力紛争として捉えるべきか迷うところであるが、実際には軍事行動に発展することはなかったので、省略する。その後、中台間の武力衝突は、1965年の偶発的な海戦を除いては発生していない。


★(2).中国の対外武力紛争の特色など

 (1)項で述べた中国が行った対外武力紛争・戦争を瞥見し、牽強付会を恐れずにその特色・特性を摘出してみたい。

 まず、その前に指摘しておきたいのだが、中国は陸地を接する国家との国境問題を解決し、残すは、中国にとっては、南シナ海および東シナ海の島嶼群に対する領有権のみになったということだ。海洋権益獲得に向けての条件が整ったと見ることもできよう。

 もっとも、本年(2013)8月3日の報道によれば、インドと中国が領有権を争っているカシミール地方で中国軍部隊がインド側の支配地域に相次いで侵入し、両国の国境問題が再燃している。

ア]. 中国の対外武力行使は、そのほとんどは領土・主権に関わる紛争である。朝鮮戦争だけは、朝鮮戦争は、中国の支援が前提となって行われたものであり、自国に危機が及ぶ段階になって人民解放軍を義勇軍として参戦させたものであり、それ以降の紛争や戦争とは特性を異にする。

 朝鮮戦争を除く紛争・戦争は、領土や主権に対する侵害排除(中国側からすれば)を主たる狙いにしたものである。もちろん、海洋権益・資源の確保も重要なファクターである。

 中国は現代において建国以来武力を以て領土を拡大してきた稀有な国である。

イ]. 限定的武力侵攻
 領土や主権を一気に回復するのではなく、長期間をかけて逐次に段階的に回復すれば十分であるとの認識のもと、そのような戦略目標を立てたのだろう。軍事的には目的・目標を限定した作戦を行うことになる。

 もちろん、一気に回復するほどの軍事力の増勢が不十分でもあり、また大規模な作戦を敢行すれば国際社会から非難轟轟であるので、それをも回避したいとの思惑もあるのだろうが・・・。

ウ]. 軍事的優勢を確保した後に侵攻
 言わずもがなであるかもしれないが、軍事的に劣勢である時期には止むを得ざる場合を除き軍事力の発動はない。中越戦争では中国軍は惨憺たる結果に終わったが、これはベトナム膺懲の戦争目的・口実があり、自らに有利な時期を選べなかったものである。

 西沙・南沙諸島への侵攻は自らの海空軍力が相手以上のレベルにあると判断したから決断したのであろう。

エ]. 大国の介入が制約されるような、或いは迅速な介入が困難な国際環境下での行動
 大国を介入させないような国際情勢を創出するために様々な努力を行い、あるいは大国が自国や他の地域への対処の為に積極的或いは迅速に介入するのが困難な状況を巧妙に見極めて主体的に武力を行使している。

 必要があれば、大国に対しても脅迫、威嚇を行うことを恐れない。核戦争をも辞せずとか、何億人死んでもまだ何億人残っているとか国際社会では非常識的ではあっても彼らにとっては当然であり、それが常套句でもある。

オ]. 陸地を接する国との紛争には力を発揮する。
 海を隔てる島への侵攻は海軍力を充実してから実行するというプロセスを経る。
 これは中国が伝統的に大陸軍国であることに由来する。

カ].離島への侵攻にはまず漁船などを派遣して相手の隙に乗じて不法行動、直ちに軍部隊を派遣して成果を拡大させるという方法を採用している。

 渡海侵攻は企図の秘匿も困難であり、奇襲を達成できない恐れがある。相手国に対応の暇を与えないためには、民間の漁船を尖兵として投入し、どう対応すべきか遅疑逡巡し、軍事力を以て対応することを躊躇させる。欺瞞作戦は彼らの最も得意とする戦法だ。

キ].中国国内の混乱や国民の不満が昂じつつある段階で対外行動

 文化大革命に伴う混乱や社会的不満による政府批判などから国民の目を外に転じさせることにより、一時的にでも国内の安定や国民の共産党に対する求心力の向上を図ることができる。これは中国に限らず、多くの国で見られることであるが、中国にはその傾向が強いようだ。

ク].長期的視点で周到に準備し、満を持して実行
 一党独裁・長期政権であるので、長期的視点で領土問題に対応できる。己の戦争目的を達成できる軍事的、政治的・経済的な目標を設定し、そのような国内外情勢の構築に鋭意努力し、その条件が整った時点で一気呵成に実力を行使する。

 比較的短期間に政権が交代する国家では、長期的目標を設定して、それを時間をかけて、いわばじっくりと条件を整えるという方策は取り辛いのとは対照的である。

ケ].資源的野望は隠蔽し、民族的矜持や自国民の保護を名目に武力行使を発動
 南シナ海での行動を見ると、資源的な野望は隠蔽し、自国民保護などを名目に武力を発動している。陸地国境には資源はほとんどないので、国境紛争が起きても妥協が容易である。これに対して、海洋権益は極めて大であり、妥協は困難であると思われる。

コ].軍事的には負けていても結果的には所望の政治目的を達成するというしたたかさ
 短期決戦による武力侵攻により目的を達するのを最上とするが、止むを得ない場合には持久戦に持ち込み、じわじわと真綿で締めるがごとくに締めつけ、止むを得ず、相手が講和や休戦を求めるのを待ち、それに応ずる形での見返りとしての成果を獲得している。

 軍事的には苦杯を舐めてもあらゆる権謀術数を用いて、概ね目的を達成しており、驚嘆するほかない。

サ].不面目な状況に陥った場合には、何らかの口実を設けて、軍の撤退を強行している。
 そういう面では状況を冷徹に判断しうる強力なリーダーシップが存在していた。

シ].国内世論を喚起して、民族主義を鼓舞し、国民や軍の士気を高揚させる。
 国民の関心を政府の思う方向にあからさまに誘導する。このために国家のあらゆる機関を動員する。さらには国際的にも自国の正当性を訴えるための広報宣伝を積極的に行う。

ス].共産党内の権力闘争の一環としての対外武力行使
 一党独裁体制下における権力闘争は、極めて熾烈である。自己の派の権力基盤を拡充するために、国民の民族主義に媚び、相手を蹴落とすために必要であれば、対外武力行使をも辞さない。

 もちろん、そのような権力闘争の実態が明らかになるわけではないので、推測の域を出ないのだが・・・。


■3].対日武力侵攻について

★(1)対日武力発動の条件に関する検討

 前項中国の対外武力侵攻の特色から考えられる対日武力侵攻発動の条件は、国内要因、国外要因及び軍事的条件と、並びにそれらの現在の状況は以下のようなものであろう。

●ア].国内要因

(A).トップリーダーの権力基盤や軍に対する統制力の強弱など

 早急な成果の獲得や強力な指導者たらんとの欲求から、成果を国外に求める傾向がある。

 国内向けの成果には時間がかかり、国民が直ちに実感できないが、国外での成果獲得は国内宣伝効果も大であり、針小棒大に誇示しうる可能性がある。習近平政権は軍の掌握に急であるが、現時点においては軍に対する統制力は未知数である。

 自信をつけた人民解放軍は段々と強硬路線に舵を切りつつあるようだ。それは、軍関係者の発言や論文などにおいて明らかである。

(B).国民の不平・不満の昂進の程度

 中国社会は、自由化・民主化が一向に改善せず、人権問題・宗教問題・民族問題などの矛盾が露呈し始めており、貧富・都市と地方の格差等の増大(ジニ係数はレッドソーンである0.5を超えている)、官僚などの腐敗(貪官汚吏の典型ならん)に対する批判などが渦巻いている。

 報道は少ないけれども、報道以上の暴動が頻発(一説には平成23年度に18万件超とも)している。バブル崩壊の危機に直面しているのではとの観測もある。

 いずれにしろ、何かのきっかけで国民の不満に火がつくと、燎原の火のごとくに燃え広がり収拾がつかない状況になる可能性がある。大規模な民衆の反乱・暴動によって王朝が交代したのが、中国の歴史である。

 国民の間に鬱積した不平や不満のはけ口として対外武力紛争を敢行する未成熟国家が多い。国民の矛先が政府に向く恐れの回避するために武力紛争を起こす可能性を無視できない。中国政府による反政府活動コントロール能力には疑念がある。コントロール能力の限界を超えているのでは?

(C).国民の高揚した民族主義の高揚度

 「愛国無罪」を喧伝し、それを容認してきた政府は、過激な民族主義を抑えることができるだろうか?

 自らが育てた悪魔が自らを蝕むということがないのだろうか?

 育ち過ぎた民族主義を抑えられなくなった時、それに押されて対外暴挙に出ないという保証はない。習近平が掲げる「中国の夢」とは何か? 中華主義、太平洋二分割論なのだろうか?

 その見果てぬ夢を具現・達成への欲求が彼を圧迫する。

(D).過去の過激な発言との整合性

 日本の尖閣諸島に関する発言・対応などに関連して、中国政府は強硬に自らの正当性を主張してきた。

 戦争に訴えてでも守るべき利益を意味する「核心的利益」との発言などが独り歩きし、それが民族主義者や党内反主流派に悪用され、自らの言動に呪縛される可能性もある。退路を断たれるかもしれない。

(E).経済状況や海洋資源の確保の必要性など

 日本と中国の経済的結びつきは結構高く、相互依存の関係にあると言える。日中の紛争になれば、経済的打撃は相当なものになるであろう。日本との経済依存度は抑制要因ではあるが、自信をつけた中国は、それが抑制要因であるとは思っていないのではないかと疑いたくなる。

 一方、将来的なエネルギー事情を勘案すれば、海洋権益の確保は重要度が高いのではないだろうか?

 失うべき経済的リスクと得られるかもしれない経済的メリットを勘案することになるのだろう。見解の分かれるところではあるが、海洋権益に執着していることは事実だろう。

●イ].国外要因

(A).国際社会の関心度

 人の関心の少ない時期・場所を巧妙に選んで活動するのは盗人の性である。彼の国の対外武力侵攻も、その例に漏れずと言うべきだろうか、国際社会の関心がアジア正面以外にあって、中国の活動に対する制約が少ないような時期を狙っているように思えてならない。

 対日武力発動をするのであれば、中国がそう判断し得るような国際情勢下にある時を狙うだろうし、そのような方向に国際情勢を誘導しようとするだろう。もっとも今のところ、それが成功しているとは言い難いが・・・。

(B).国際社会において中国の領有権主張への理解度の状況

 中国の領有権主張への国際社会の理解度は中国としても気になるところである。少々の国際社会の反発は織り込み済みであるとしても、国際社会全てを敵に回すような愚は侵さないだろう。

 武力発動するとすれば、国際社会における自国の領有権主張の理解度がある程度進展していると判断した時であろう。それを見据えての国際社会における広報宣伝戦には、瞠目すべきものがあり、我が国としても等閑視はできない。

●ウ].軍事的条件

(A).米国の介入の有無又はその度合い

 対外武力行使を発動する場合、中国にとって、最大の課題は大国即ち米国の介入の有無、度合であろう。米国が当該武力発動に強固な意志を持って「待ったをかける」のであれば、それを無視してまでも武力発動に踏み切る蛮勇はなかろう。

 あり得るとすれば、米国が介入に躊躇したり、時期的に遅れる可能性が高く、それまでの間に既成事実を確立できる場合である。

 米国は今のところ、日本防衛・尖閣防衛に関して中国の武力発動を抑止すべく様々な動きをしている。さる7月29日には上院本会議における中国に自制を求める決議を採択し、尖閣諸島が日米安保の適用範囲とする法案をも既に可決している。

 さらには、オバマ大統領をはじめ政権首脳の種々の発言からも米国の日本防衛に関する意思は明確であると思える。

 米国ももちろん、中国との全面戦争は回避したいだろうし、その思いは中国側はもっと強いはずだ。そのギリギリの厳しい判断が求められている。限定した武力行使で目的を達することが中国にとっては至上命題である。

(B).米国の介入を最小限阻止し得る方策の有無など

 領土的インセンティブや国内要因からあくまでも尖閣領有を決断するのであれば、米国に勝てないまでも、米国に軍事的な脅威を与えて思い止まらせる方策を考えるべきだし、現に中国はその方向に国家資源を注力している。

 純軍事的には米軍に比肩し得るはずはないが、サイバー・宇宙空間での戦い、旧式といえども大量のミサイルによる攻撃、さらには大陸間誘導弾による核攻撃などはもしかしたら米国の介入を遅延させ、躊躇させ、米国民に厭戦気分を齎すかもしれないし、それを狙う。

C).日本の軍事的対応

 米国を横睨みに睨みながらも、日本の監視警戒・防衛力に十分に勝てると判断すれば武力発動は十分にあり得る。日本が躊躇し、本格的な対処に時間を要し、その間に既成事実化を期すことができれば彼らは戦略目的を達することができる。

 現時点においては、多分真面目に戦えば自衛隊に分があるだろうが、その優勢は次第に失われてしまいかねない。領土防衛に努力を怠ったつけを払わされることになりかねない。

 少なくとも現時点においては日本が優位であったとしても、その優位は僅かでしかないし、瞬く間に逆転されてしまうだろう。

 本年版の防衛白書は、中国の軍事力の増強に触れ、脅威であるとの認識を示しているが、その認識は正しいとしても切迫感が足りないような気がする。

(D).いずれにしても、現時点においては日米対中国の真面目な戦いとなれば、日米が鎧袖一触、勝利することは確かだろう。

 問題は中国側の奇襲作戦、非正規戦を組み合わせた質的には劣ったとしても大量物量作戦によって作戦様相が異なってくるかもしれないということである。

 このまま中国の戦力増強が続けば、いずれ逆転まではいかないにしても、彼らが十分に戦争目的を達成できるかもしれないと認識するような時期が訪れるだろう。今日明日ではないとしても明後日ではないという保証はない。

●エ].総括

 以上述べたこれらの条件のすべてが必ずしも必要かつ十分な条件であるというわけではない。彼の国の指導部はこれらの条件などを精査し、いずれかの条件を重視してその決断を行うだろう。

 現時点においては、国際情勢や日本の対応状況等からは中国が対外武力発動するという状況にはないものと思われるが、国際要因の圧力は相当なものだろう。習近平主席に対して、反日強硬派である江沢民前主席が影響力を行使し始めたというのも気になるところだ。


★(2)考えられる作戦

 中国が直面する国内外の要因を考慮すれば、今直ちにというわけではないとしても、尖閣諸島に対する危機は切迫しつつあると言える。しからば、どのような作戦が考えられるだろうか?

1. ]新組織となった海警局による接続水域の航行や領海侵入の継続

 日本の対応能力に関する情報収集、常態化による日本の警戒感の希薄化あるいは無力感の醸成、さらには国際社会に対するアピールを狙っている。

 たび重なる領海侵犯は、日本の外交敗北を示し、抗議するだけで何もなし得ない我が国の無為無策ぶりは、日本の名誉や矜持が雲散霧消した証左である。

 海警局の公船のバックアップよろしく所要の海軍艦艇を遊弋させ、プレゼンスを誇示し、いったん緩急あれば公船を支援し、必要があれば威嚇行動を取るだろう。

 漁船と称する船舶が何らかの侵害を受けた場合でも保護名目で実力を行使するかもしれない。膺懲、制裁、教訓を与えるとの名目での武力行使をもあり得る。

 彼らの執拗な挑発行動は果てしなく続くのだろう。

2. ]大規模な漁船団による周辺海域への来襲と不法上陸

 西沙諸島への侵攻パターンを踏襲することになろう。中国漁船の大挙来襲には前例がある。

 日中平和友好条約の締結前の1978年4月、尖閣諸島の北西海域に100隻の中国漁船が来襲。このうち五星紅旗を掲げ、機銃も装備した十数隻の漁船が領有権を主張しながら領海に侵入した。

 日本は巡視船10隻と航空機4機で対応し、1週間後に全漁船を領海の外に退去させたが、その後も約1カ月、緊迫した事態が継続した。日本の対応の手緩さに味を占めていることだろう。

 海保では対応できないほどの大量の漁船、千の単位で来ないとは言えまい。そのような場合に、日本側が奔命に疲れるということは十分に考えられる。一部の不法上陸が起きるだろうし、上陸する者はすべて特殊部隊の隊員であろう。

 偽装漁船に、特殊部隊の隊員が分散乗船しているものと認識すべきだ。

 あるいは、否軍事的には十分考えられることであるが、偽装漁船団による不法上陸に先行して、特殊潜航艇などにより隠密潜入し、不法上陸を誘導・援護し、日本の反撃に備えるだろう。

3. ]これらに並行しつつ、国内外における宣伝戦、自衛隊や米軍の施設や部隊に対する各種の妨害活動の頻発

 必要があれば、軍事的脅迫や核兵器の行使をほのめかすことも十分にあろう。日本に敗北主義が蔓延れば中国の思うつぼだし、それを狙っているのだろう。

4. ]自国民保護や領土防衛・自衛を名目にして人民解放軍が行動を起こす

 まず、航空優勢を確保するための作戦、航空部隊やミサイル或いは潜水艦や水上艦艇による自衛隊や米軍の戦力の集中を阻止する航空並びに海上阻止作戦が発動される。

 質においては劣勢である人民解放軍が、圧倒的な量を以て日米を凌駕するかもしれない。これらの物理的な力の行使に先立ち、大規模なハッカー攻撃が予想される。杞憂であってほしいが・・・。

5. ]本格的な陸軍部隊を上陸させて尖閣諸島に強固な橋頭堡を構築

 それを逐次に拡大して、日米両軍の奪回作戦を阻止することになろう。尖閣諸島に対する戦力集中競争が起きる。事前に周到に準備していた中国側に利があろう。日米両部隊の即応度と戦略機動力が問われる。

6. ]活発な外交戦

 これらの軍事行動に並行しつつ、和平というか妥協の糸口を見つけるべく活発な外交戦を仕掛けるだろう。日本国内の世論が分断されれば、彼らは戦争目的を達するだろう。

 日米が相当な犠牲をも覚悟して防衛するという強固な意志があれば、この対決は厳しいものとなるが、それに日米両国は耐えられるだろうか? 聊か疑問なしとはしない。

■4]. 我が国の対応

 我が国が為すべきことは多い。しかしながら、我々に許されている時間は短い。紙面の関係もあり、為すべき事項を列記するにとどめたい。

 基本的には、抑止と対処であり、そのためにあらゆる努力をすべきである。それらは、先般自民党が政府に提出した「防衛大綱に関する提言」に尽きるのかもしれない。もちろん、対話は必要不可欠である。

1. 大幅な防衛費の増額を含む、南西諸島防衛態勢の抜本的改善
2. 日米安保、日米共同作戦を含む日米の戦略対話と強固な防衛協力体制の確立
米国のリップサービスを真実たらしめる努力が必要だ。
3. ASEAN(東南アジア諸国連合)を含む諸外国との密接な連携による中国武力行使の抑止
4. 真に自衛隊の防衛作戦が機能しうる国内体制の早急な整備、国民意識の涵養も含む。
5. 国際社会に対する周到積極的な広報宣伝

■5]. 終わりに

 本稿は中国の脅威を煽るものではなく、歴史的事実を正しく認識、我が国が直面する危機を直視することの重要性を問わんとするものである。

 備えあれば憂いなし、十分な抑止態勢を取ることが、中国の横暴を抑え込む。孫子に曰く、「百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」と。戦いを抑止して我が国を防衛できるように最大限の努力をする必要がある。

 21世紀最大の課題は、異形の大国中国に如何に立ち向かうかである。日本の心構えが問われているのかもしれない。





減速する成長、そして増強される軍備


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